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年に1,2回全国のどこかで集会を行っていて、情報交換という目的で卒業生の先輩方とわいわいお喋りしています。

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医学生の会に入ることに抵抗あるけど、情報交換はしたい!という方も、このようなグループに参加することは可能です。

考えていらっしゃる方は、是非よろしくお願いします。

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医師国家試験を終えて

 2008年3月28日、第102回医師国家試験の合格発表がありました。
 わたし (竹澤) は同年3月25日に滋賀医科大学を卒業しまして、第102回医師国家試験に合格したことをここに報告いたします。

 これまで7年間(正確には6年と半年)、滋賀医科大学に在籍して学んできたわけですが、わたしは決しておせじにも「良い学生」とは言えませんでした。
 難聴の研究がしたいと思って入学し、臨床で働く聴覚障害者の医師がいるのだということを知りました。それならばわたしも、と思ったものの、具体的なビジョンがなかったために、長いあいだ「医学」ということについて真剣に向き合ってこなかったように思います。
 遅すぎる気づきではありましたが、5年生になってからの病院実習、そして卒業試験、国家試験の勉強を通して、医学の、いわば基礎体力である基礎医学の大切さを5年生になってからようやく気付いたというくらいですから、本当に不勉強で不真面目な学生でありました。
 けれども、それはわたしに聴覚障害があったからではありません。
 もちろん、学生生活なり自分の性格なりに聴覚障害ということが寄与している部分もあるのですが、それがすべてではありません。
 自分が他の人より頑張ってきたとか、人より困難なことを成しとげてきたとか、そのようなこともありません。
 医学部でともに学んだ人たちは、みんな頑張ってきました。
 同時に、そのように頑張ってきていても、医師として働いてゆけるのかどうかという不安も、みな同じように持っています。
 わたしの場合、聴覚障害のために他の人と同じようにはいかない部分も、きっとあるでしょう。だけど、甘い考えかもしれませんが、こう思うのです。
 他の人と同じではなくとも、何かできることはあるだろう、と。
 そして、こうやってわたしのような人が出てきたことは、単なる流れの一部にすぎないのだとも思います。

 むかしの医師法が制定された当時、だれが補聴器の発達や、人工内耳の出現、そしてさまざまな機器の存在を想像しえたでしょうか。
 その当時においては、おそらく「欠格条項」は理由のあるものだったはずです。
 まだ、明確に答えの出ていないことなのですが、「医師として働くとき、患者さんの安全を確保できるかどうか」ということ。
 その裏返しが、古い欠格条項だったのだろうと思います。
 つまり、聴覚障害者の医師では患者さんの安全を確保できないから、医師になるのを禁ずる、それが昔の欠格条項でした。
 しかし、時代が変わり、いまは補聴器も良いものがありますし、また人工内耳の出現、それに音を拡大できる聴診器やPDAで心音図を見ることのできる聴診器、デジタルの血圧計など、便利な機械も出ています。
 そういう時代になって、じょじょに、たとえば藤田保先生であるとか、関口麻里子先生であるとか、聴覚障害を持ちながらも医師として働かれる方が出てこられました。
 このおふたりの先生だけではありません。
 藤田先生のように、医師免許取得後に聴力を失われる先生はもっと多いことと思います。とくに医師は、お年を召されてからも現役で活躍される方が多いので、なおさらそのような先生はいらっしゃるでしょう。
 また、幼少期からの高度難聴を持ちながらも、法改正以前に医師となられた関口先生のような先生もおられます。お名前を出すことができませんが、他にもそのような先生はいらっしゃいます。
 そのような時代を経て、聴覚障害のあることが「患者さんに危険をおよぼす」ということと、(議論の多いところではありますが)すぐには結びつかないことが多くなってきました。
 そして藤田先生を含めた多くの方が努力されて、欠格条項の改正を求めてこられました。
 そういった流れの中で、わたしが滋賀医大を受験する前に法改正見込みの報道がありました。
 聴覚障害のある人が医学部に入学すること、そのこと自体は昔もあったと思うのですが、公にされなかっただけです。たまたま、自分は法改正見込み直後に入学した。それで公にできるようになったというだけのことです。ですから、わたしがお伝えできることはそう多くはありませんが、伝えていけることは伝えたいと思っています。

 幸いにも医師国家試験に合格いたしましたが、免許が下りるかどうかはわかりません。でも、「医師になる権利がある」と主張する気持ちは、実のところそこまで強くないのです。ここまで来た以上「医師になりたい」という思いは当然あるし、「たとえ臨床ではなくとも、どこかに働ける場所はある」とも考えるのですが。
 同時にさきほどの段落でも書きましたとおり、「医師として働くとき、患者さんの安全を確保できるかどうか」ということについて考えると、不安に思う気持ちもあります。とりわけ、この現代においては医療従事者に注がれる視線は、聴覚障害のあるなしに関わらず厳しいものとなっていますから。
 けれども、聴覚障害の有無に関わらず、わたしは医学生として医学をきちんと学ばなければいけなかったし、合格すれば4月から「医師」として働かなければなりません。

 5年生の夏、小児科での実習中のことです。
 教授の外来見学で、患者である子どもさんとそのお母さんの診察の様子を見学させていただきました。診察が終わり、患者さんたちが退室されたあとに、教授がわたしたちに向けて質問をれました。
 それに対して、診察の様子がよく聞こえず、わからなかったわたしは
 「難聴があってよく聞こえなかったので、わかりません」
 と答えてしまったのです。
 それについて、細かい言葉は忘れてしまいましたが、教授が次のようにおっしゃいました。
 「そういうことを言ってはいけないよ、それ(難聴)は理由にならない」
 「聞こえづらかったら、他の手段を使って考えなさい」

 知らず知らずのうちに、自分でも聴覚障害ということを言い訳にしてしまっていたのでした。
 それではまずいと、いま改めて思います。
 聴覚障害があることによって生じる不都合はあるでしょう。
 その不都合をただ嘆いたり、その不都合を誰かがどうにかしてくれるようにと願ったり、不都合を改善してくれない他者に対して八つ当たりすることは、自分の経験を鑑みても、あまり良い結果をもたらさないように思います。
 考えるべきことは、それらのことではなく、何が本当に不都合なのかを分析すること、そして不都合に対してどのように対処すべきかということの方です。
 少しの工夫や手助けがあれば、不都合でなくなることも多いはずです。現状から大きく離れることを、すぐにはできないのが日本ですから、まずはできることから地道にやっていくことが必要になってくるでしょう。
 また、少しの工夫や手助けがあることは「当然あってしかるべきもの」では、絶対にありません。居丈高に「このようなサポートが必要ですから申請します」という態度では、きっとうまくいかないでしょう。
 わたしがここまで来ることができたのも、多くの人の地道な積み重ねと、先生がたや同級生の協力の上にあるものなのです。そして、これからを積み重ねてゆくのもわたし一人の力では到底できないことですし、わたしや、この会のほかのメンバーが頑張ればよい、頑張ってね、というところで終わることではないと思っています。
 むしろ、問題なのはこれから。
 この聴力でどう医師として働くか、そのことについて、これから向き合っていかなければなりません。
 医師国家試験に合格したことはゴールではなく、ひとつの通過点であり、あらたなスタート地点だと感じています。

 ここまでお読みくださって、ありがとうございました。
 今後は「聴覚障害を持つ医学生の会」の副会長をはずれますが、これからも時間のあるときは卒業生として当ブログに記事を書かせていただきますので、どうぞよろしくお願い致します。

2008年3月28日
竹澤 公美子

閑話

 たまにはこんなお話でも。
 とりとめのないことなので、おひまな方だけお読みください。

 生まれてから25年、聴覚障害歴も23年。
 まあそれだけやっていれば、悩みも、喜びも、人生のヒヨコなりにいろいろなことがありました。それで、いつからだったかはっきりとは思い出せませんが、ここ半年くらい思っていることがあるんです。
 「人間、生きていればいずれは耳も遠くなるし目も悪くなる。体のあちこちで立てつけが悪くなる。薬を飲まなければいけないようになるし、体もよう動かせへんようになるし、周りの手をわずらわせるようなことも出てくるだろう。
 じゃあ、わたしのいまの状態っていうのは、人さまよりどうも多少早く耳にガタがきて、人さまよりいくぶん長く聞こえの不自由さとお付き合いをしていかなきゃならん、ってことなんじゃなかろうか」
 と。
 一般的な「耳が悪くなる時期」とはどうもズレてしまったけれど、いずれどこかが悪くなるのだし、一病息災くらいがちょうど良いのかもしれへんな、と、なんだかそういう風に思うわけです。

 そしてまた、お年を取られた方が役に立たないかっていうと、これはもう全然そんなことはないわけで。膝が痛い、糖尿だ、薬を山盛り飲んでいる、というウチの祖母だって、口も頭も達者で元気だし、あちこちで世話焼きに忙しいお人です。
 診療所でお会いした患者さんも、そう。
 「どうも腰が痛くて~」と来られた患者さん。「昨日仕事してたから」の言葉にびっくりして、思わず「仕事ってなんですか?」と尋ねたら、「田んぼよ、田植えしとったの」。カルテを見ると80歳とか書いてあるんです、これが。

 年を取る、老いる、どうも体やらどっかの具合が悪い、障害がある、それは一般的に見るとマイナスイメージでとらえられています。やっぱりいつまでも若くいたいし、病気になったり障害なんて持ちたくないでしょう。
 だけど、自分の祖母を含め、人生の先輩がたの様子を見ていると、老いて体の調子が悪くなっても、とてもイキイキしていらっしゃる。それも、けっして特別すごい人というわけでもなく、ふつうにそこらへんにいる人なんです。

 耳の話に戻って。
 時期が早かったり多少程度が重かったりして、人さまにご迷惑をおかけしたり、手をわずらわせるようなこともあります。でも、だからといって何にもできないってことは、たぶんありません。
 膝が痛い、腰が痛い、ああしんど。そう言いながらおばあちゃんたちは元気に歩きます。
 (滋賀では「しんどい」を「えらい」と言うので、「ああ、えらいわ~」かな)。
 もちろん無茶なことはできませんし、いわば「年寄りの冷や水」にならないように気をつけないといけないところもあります。
 だけど、年を取ったから、耳が悪いから、あそこがダメだから、と自分で自分を四角いハコの中に押し込めなくっても、いいのかもしれないなあ……。

 そんなことを、ぼんやりと思いました。

文責:Kumiko

ゆるい話

 むかし、講演会にお招きいただいたことがあります。
 3年前ちかくだったかな、ピア大阪でひらかれたものでした。
 そのとき、どういうことを話したかというと、
 「障害をもっているからできないのだとあきらめていないか、挑戦することでしか道はひらけない」
 というようなことでした。
 いまから思えば、それは自分が考えていることの主張にすぎなかったんだなあ。相手を想定したことばじゃなかったです。いまも、あきらめる必要はないんだって思うけれど。
 このときのことは、ライターの小椋知子さんにとりあげていただきました:
 「できないって、誰が決めるの?

 ほんとうのとこ、あんまりガチガチに考える必要はないんじゃないか、っていまは思うんですよね。
 わたしが聞こえなくなったのは2歳なんだけれども、生来の負けず嫌いのため、幸か不幸か自分のことばっかり考えて、いままでずーっときばってきちゃった。きばっている、ってことにも気がつかなかったんだから、相当なもんです。
 自分がやらなきゃ、できなきゃ、自分はこうだから、こうでなくちゃ。自分で自分をしばって、身動きがとれなくなっていました。自分勝手でマイペースに、すごく自由に動いていたつもりだったんだけれども、まわりが見えていないことで逆に自分の自由度を下げていたと思います。っていうか、いまもまだまだなんです。20年以上の性格って、そうかんたんにはなおらないや。

 前に、「なぜ医者になりたいか」についてお話しました。
 そのとき、思考のポイントというか、これを考えてみることで、もしかしたら悩んでいることにちょっとだけ道が開けるかもしれないよ、ということを書きました (「なぜ医者になりたいか part.2」)。
 でもさ、じっさい「こうだから、こうなりたい」ってハッキリ言える人は少ないんじゃないかな。
 わたしなんか、中学3年生で「医者」って決めちゃったけど、イメージのなかで思い込んでいただけだったし。
 しかも、「こうだから、こう」っていうことがずーっと続くわけじゃあなくって。
 わたしも「こうだ!」という勢いで突っ走って、コケて、起き上がってまたコケてを繰り返して、気づいたらなんとかここまで来れていた。そうすると、はじめに中学3年生で考えていたのとは違うところに、いつのまにかいたりするんです。
 
 迷ったら、とりあえずはじめてみること、それがいいかも。
 ただし、「自分のやりたいこと」とか「好きなこと」を「やりたいまま」「好きなまま」の気持ちを持ちつづけるっていうのはむずかしい。人間って変わっていく。
 そのなかで「やりたいこと」「好きなこと」をそのままに保ちつづけるには、いつもそのことを問い続けていくことが必要なのかもしれません。

 なんというか。
 「聴覚障害を持つ医学生の会」ってカンバンかかげてるけれど、「聴覚障害」とか「医学生」にこだわらないでほしいんですよね。
 聞こえても聞こえなくてもいいんじゃないの。
 「できないこと」ってのはあると思う。それはがんばればどうにかなるってもんではなくて、ヘソが茶をわかすくらい、できないことなんだよね。生まれたての赤ちゃんに「立って歩け」って言うようなもん(あ、お釈迦様は歩いたか)。
 でもさ、それって、数は多くない。
 むずかしいけれど、ちょっと工夫したらできるようになる、っていうことはたくさんあると思う。

 それよりも、ここを見てくれているひとたちに、大切にしていること、なりたいもの、やりたいこと、いま読んでみたい本、いまお話したい人、得意なこと、悩んでいること、苦手なこと、いろいろ聞いてみたいなあ。

文責:Kumiko

4月23日(Kumiko)

 4月に入ってから、更新が多くなりました。自分でも、びっくり。
 さすがに6年生になって、「いま書かないと一生書けないんじゃなかろうか」と焦りが出てきたのでしょう。――そういえば、6年生になったのでした。卒業したらどうしましょう。
 滋賀医大の6年生は春休みがなくて、今日から2週間、やっとお休みになりました。たぶん更新も増えるでしょう、「カテゴリ」のところ(とくに「教育支援」と「聴覚障害について」)をチェックしてみてください。

 ところで、わたし自身が「思いこんだら一直線」みたいな、まさに亥年生まれ!という猪突猛進なところがあるので、書いている記事に間違っているところがあるかもと、びびっています。
 まだ経験も知識も少ないですから、どうぞみなさんの意見を聞かせてください。

 この「つぶやき」カテゴリでは、とくにテーマにこだわらずに書いていこうと思っています。
 そして、他のメンバーの人にも「つぶやいて」ほしいなとコッソリ思っているわけなんですが、書いてみませんか?(たとえば「つぶやき」にでも!>AYAKAちゃんあたり)
 いま、残念ながらわたし(Kumiko)しか書いていないので、メンバーで協力して後に残るものを作れないか?と考えています。

 さらに、メンバーを募集しています。
 顔写真とか、在籍する大学とか、出したくなければもちろん出しません。
 みなさま、よろしくお願いしますね。

文責:Kumiko
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Author:ADHIMS
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