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大事なこと-もくじ

 10年目の内科医先生から、「大事なこと」と題してコメントが寄せられました。
 それをもとに書いた、一連の記事です。
1. 大事なこと-1:10年目の内科医先生のコメントから
2. 大事なこと-2:医師法の欠格条項
3. 大事なこと-3:障害とそれに伴う問題
4. 大事なこと-4:医療における問題
5. 大事なこと-5:まとめ
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大事なこと-5

 障害を持ちながら、医師として働く。
 そのとき何に注意しておきたいか、ということを今回はまとめたいと思います。
(1) 医療で大切なことは、患者さんとの信頼関係である。
(2) 障害があるために、共通認識を構築することが難しい。
(3) そのことが患者さんや一緒に働く人にとって、ストレスになる可能性がある。
(4) 医師としての仕事が自分だけできるわけではない。
(5) 自分ができることとできないことを見極める。
 「何のために医師として働き、医療行為をするのか」
 といえば、病院に来る患者さんの苦痛や不安をやわらげるため、だと思います。そして、それには患者さんと信頼関係を構築し、安心、納得して医療を受けてもらうことが必要です。
 そのときに、障害があることで患者さんにストレスを感じさせる可能性があります。そうなると信頼関係の構築は難しくなってくるでしょう。

 まず、上に書いた(1)~(5)を意識すること。
 意識することがはじまりではないでしょうか。
 その上で、共通認識を構築する努力をしなければなりません。それには対話を積み重ねていくしかありませんから、時間がかかるかもしれません。けれども、必要な作業です。
 まずは、一緒に働く同僚や上司と話し合うこと。
 そのときに自分の障害を訴えるだけではなく、相手の疑問や不安もよく聞き、おたがいに「違い」についての認識の差を埋めていくことが大切だと思います。なかなか難しいことなので、わたしも試行錯誤しているところなのですが……。
 偏見や誤解もあるでしょう。でも、「自分は悪くない、相手が悪い」「自分は不幸だ」と思うばかりでは、何も解決しません。

 よく考えないと、と思います。
 最後に、もう一度10年目の内科医先生のコメントを引用させていただきます。
> コミュニケーションが困難なDr.を主治医に持つ患者様、
> ご家族の気持ちを考えてください。
> その上で病院実習や臨床研修に望んでください。
> そして、できることとできないことを身をもって、
> 目をそらさず見極めてください。
 いま、この言葉を噛みしめています。
 現在6年生のわたしですが、今後、医師となってもこのことを考えながらやっていきたいと思っています。
 障害を持つ医学生の人、これから医師になろうとする人、一緒に考えていきましょう。

 10年目の内科医先生へ、コメントをありがとうございました。
 至らない点も多々あるかと思いますが、これからも考えていく、ということでお許しください。

大事なこと-4:前項|もくじ
文責:Kumiko

大事なこと-4

(1) 何が不都合となるのかを、周囲の人が知らないか誤解している。
(2) 障害を持つ本人が、自分では気づいていない不都合がある。
(3) 問題が障害によるものなのか、性格によるものなのか判断しにくい。
 前回は、なにをもって不都合とするか各個人によって判断が違うために問題が生じる、ということを上記の場合を挙げて少しお話しました。
 それは、端的にいうと「共通認識の構築が難しい」ということです。
 どういうことかと言いますと、多くの人はたいていの場合「自分は相手の言動がわかるし、相手も自分の言動がわかる」と安心して相手とやりとりをしたり、仕事をしたりしています。
 ところが障害を持つ人を相手にする場合、そのような共通認識のもとではやっていけない部分があります。
 そのことは前回(大事なこと-3)で、上記(1)~(3)として具体例を挙げてお話しました。
 たとえば聴覚障害でいえば、「普通に話をするだけでは、話が通じないことがある」といったことがそうです。つまり、聴覚障害を持たない人が聴覚障害を持つ人に話すとき、いつもと同じようなやり方が通じない、といったことになります。
 ですから、その障害を持たない人にとっては他の人と違うということでやりとりがしにくくなるし、違う部分に対して何らかの対処が必要になってくるため、ストレスを感じることが出てくるでしょう。
 障害によって起こる問題のために、ストレスを感じているのは障害を持つ側ばかりではありません。障害を持つわたしたちがストレスを感じているとき、障害を持たない相手もまたストレスを感じているかもしれないことに注意してください。

 障害を持つ人、持たない人との間で、やりとり(仕事)をするうえでの共通認識が築けていないために、双方にとっての「違い」がストレスとなる。
 そのことによって、障害を持つ人が医療の現場で働くことは、身体的な側面だけでとらえるよりも、難しいと思われます。すなわち、身体的困難のサポートだけではすべての問題を解決できないということです。
 とくに医療の現場では同じ情報を共有し、決まったやり方で行うことが必要となってきますから、そこで「少し違うやり方でやってほしい」ということは、それだけでストレスになる可能性があります。
 それは同じ職場で働く医師や、他の医療従事者はもとより、患者さんやご家族にとってもストレスを与えているかもしれない、ということにほかなりません。
 その最たるものは、「安心して医療を受けられない」というストレスであるでしょう。

 そういう問題があると理解したうえで、医師として働いても良いのか。
 これについては、わたしもまだ答えを持っていません。
 医学部の過程を修了し、国家試験に合格して医師免許を取得する。そこまでは、おそらく障害を持っていてもできるでしょう。けれども、その先はまだ五里霧中といった様相です。
 聴覚障害にかぎって言えば、実際に医師として働かれている人がいます。そういう先人たちの例を見れば、「働いてはいけない」ということはない、と考えられます。
 ただ、「働いても良いと認められているから、(障害をもたない側が持つ側を)受け入れるべきである」「サポートすべきである」「自分が頑張ればどうにかなる」ということでは、現状ではおそらく行きづまってしまうでしょう。
 繰り返しますが、医師としての仕事が自分だけできるわけではないのですから。
 医療は、医師を含む医療従事者、そして患者さんがいて成り立つ仕事です。

大事なこと-3:前項|もくじ|次項:大事なこと-5
文責:Kumiko

大事なこと-3

「聴覚障害を持っていること」が、
 医師として働く際にどういう問題を引き起こし、
 自分や周囲にどう影響するのか。


 まず、「障害」とはなんでしょうか。
 これは、なかなか難しい問いかけです。
 じつは「障害」というものは、「医学的に定義された、ある状態」というだけにとどまりません。医学的な定義は定義として、障害とは「自覚的もしくは他覚的に、生活における不都合が生じた状態」ともいえるのです。
 そして、このことが障害とそれに伴う問題をややこしくしている理由となっています。

 具体的に、「障害とそれに伴う問題のややこしさ」は、何に起因しているのでしょうか。
 以下に、その理由を3つ挙げました。
(1) 何が不都合となるのかを、周囲の人が知らないか誤解している。
(2) 障害を持つ本人が、自分では気づいていない不都合がある。
(3) 問題が障害によるものなのか、性格によるものなのか判断しにくい。
 つまり、上でいうところの「自覚的もしくは他覚的に」の部分に関わってくるところで、なにをもって不都合とするか、各個人によって判断が違うために問題が生じる、ということです。
 では、その聴覚障害に焦点をあてつつ、上記についてもう少し具体的にお話します。

(1) 何が不都合となるのかを、周囲の人が知らないか誤解している。
 聴覚障害に関する、よくある誤解は「喋れているから、聞こえるだろう」というものです。また、「唇を読めば全部の内容がわかる」「手話をする」というものもあります。
 しかし、これらがすべてではありません。障害の種類や程度、またその人の性格や育ちかたによって、何が不都合となるかも違ってきます。しかも、それは外から見える不都合ばかりではありません。
 ですから、障害を持たない人にとっては「知らないか誤解している」というのはむしろ当たり前のことと言えましょう。

(2) 障害を持つ本人が、自分では気づいていない不都合がある。
 「知らないことは、無いことと同じだ」
 という言葉があります。
 普通の人にあるはずのものが、自分にはない。
 それを「ない」と認識することが、難しいことがあります。
 たとえばわたしの場合、補聴器から人工内耳にしてはじめて、「自分が今まで聞いていた、一番大きな音よりもずっと大きな音がある」ということに気づきました。
 周囲の人から見て「これではダメだ」「ここは補わないといけないのではないだろうか」ということを、障害を持つ当の本人が気づいていないことがあります。

(3) 問題が障害によるものなのか、性格によるものなのか判断しにくい。
 たとえば障害を持っていない人でも、周囲との人間関係がうまくいかない、トラブルを起こしやすい、という傾向のある人はたくさんいます。
 障害を持っている人の場合、生じた問題(トラブル)が、障害を持っていることにより起こるものなのか、本人の性格に起因するものなのか、判断するのが難しいときがあります。
 障害を持っているために起こるものであれば、それに対する対策を考えることができるでしょう。本人の性格によるものであれば、(通常の人と同じように)それを是正することは難しいと思われます。
 ただ、障害を持っていることが性格形成にも関わるために、問題はさらにややこしくなります。たとえば聴覚障害があることで、周囲とのコミュニケーションがうまく行かずに引っ込み思案になる、ということは十分に考えられることです。

 障害を持っていることそのものから起こる、身体的な問題のほかにこういった問題があることが、障害を持つ人が医療の現場で働くことの難しさを引き起こしている、といえるのではないでしょうか。

大事なこと-2:前項|もくじ|次項:大事なこと-4
文責:Kumiko

大事なこと-2

 まずは確認の意味で、欠格条項とその改正についてお話します。

 欠格条項という言葉を、聞いたことはあるでしょうか?
 欠格条項とは、ある条件(条項)に該当した場合、その資格が取れない・資格試験を受験できない、ということを定めた法律をいいます。
 平成13年になるまで、医師法には聴覚障害についての欠格条項がありました。つまり、聴覚障害があるということだけで、医師への道は断たれたも同然だったわけです。
 (現実には、過去にも聴覚障害を持ちながら医学部に入学し、医師となった先生がたが何人かおられます。また、医師免許取得後に失聴された先生は、もっと多いでしょう。しかし、欠格条項があるために聴覚障害を公にする先生はほとんどいらっしゃいませんでした)。
【平成13年以前の医師法(抜粋)】
第3条(絶対的欠格事由)
未成年者、禁治産者、目が見えない者、耳が聞こえない者又は口がきけない者には、免許を与えない。
第13条(絶対的欠格事由)
準治産者、目が見えない者、耳が聞こえない者又は口がきけない者は、医師国家試験及び医師国家試験予備試験を受けることができない。
 ところが、平成13年に法律がかわって、聴覚障害があっても条件しだいでは医師になれる、ということになりました。
【医師法(現行のものより抜粋)】
平成13年改正:絶対的欠格事由から相対的欠格事由に
第3条 未成年者、成年被後見人又は被保佐人には、免許を与えない。
第4条 次の各号のいずれかに該当する者には、免許を与えないことがある。
1. 心身の障害により医師の業務を適正に行うことができない者として厚生労働省令で定めるもの
(2~4は略)
第13条 削除
 これで医師免許を取得することについて、法律上では「与えないことがある」とされたのみで、完全に医師への道が閉ざされるようなことはなくなりました。
 また、医師国家試験受験もきちんと受験できるようになっています。

 このように法律の上では、聴覚障害者が医師になることに関して「なってはいけない」から、「免許を与えないことがあるが、なっても良い」という方向に変わりました。
 わたしたちが医師になろうと思い、医学部に入って医師国家試験のために勉強する。それは、聴覚障害を持っていても「頑張れば、なんとかなる」ということに一応はなったわけです。
 それを、まず前提としておきましょう。

 けれども、問題は自分ひとりががんばってどうにかなる、という種類のことではありません。
 障害の有無を問わず、大学の実習をひとりで行うわけではないし、医師としての仕事が自分だけできるわけでもないのですから。
 大学在籍中は、指導教官や同級生や先輩・後輩の存在があります。
 医師になれば範囲はさらに広くなり、患者さんはもとより、同僚や上司の医師、看護師などその他の医療職とも連携をとっていかなければなりません。

 「聴覚障害を持っていること」が、
 医師として働く際にどういう問題を引き起こし、
 自分や周囲にどう影響するのか。

 法律上は認められたけれども。
 はたして、聴覚障害を持ちながら医師として働いてもよいのか、どう働けばよいのか?
 そのことについて、これから考えていきましょう。

大事なこと-1:前項|もくじ|次項:大事なこと-3
文責:Kumiko

大事なこと-1

 「大事なこと」と題して、10年目の内科医先生からコメントが寄せられました。
 考えさせられる内容でしたので、
 まずはコメントを引用させていただくことで問題提起とします。
 (改行はこちらで加えさせていただきました)。
10年目の内科医先生からのコメント:
> はじめまして。
> 私は卒後10年目の内科医です。
> 偶然このHPにたどりつきました。
> 正直複雑な思いで見させていただきました。
> なぜなら、今研修医の中に
> 聴覚障害ではありませんが身体障害者のかたが一人おられ、
> やはり担当患者様とそのご家族からクレームがだされている
> ということで、聴く立場である私たち指導医も頭を悩ませているからです。

> このHPは激励やがんばります!
> という流れですが、現実は甘くはありません。
> 医師を志す当事者はよくても、患者様はどんな気持ちか、考えていただきたい。
> 特に今回の臨床研修医制度になってから、ストレートではなく、ローテートになり、
> 否応なしにターミナルの患者様を担当することもあるわけです。
> 患者様やご家族は自分たちのことで精一杯なのに、
> 先生に気を使わねばならないなんて…というかたもいらっしゃるわけです。

> 自分たちの職業選択の権利を主張するのは当然のことかもしれませんが、
> 医療の世界は普通の職業とは異なります。
> きれいごとではすみません。
> あなた方が、がんばる、励まされた、で喜ばれるのも大事なことかもしれません。

> でも。もっと大事なことがこの世界にはあります。
> それは、患者様との信頼関係であり、
> 安心し信頼し納得される医療を提供することです。
> このHPでそのことを考えていただくことを私は望みたいです。
> コミュニケーションが困難なDr.を主治医に持つ患者様、
> ご家族の気持ちを考えてください。
> その上で病院実習や臨床研修に望んでください。

> そして、できることとできないことを身をもって、
> 目をそらさず見極めてください。
> 年数がたてば、一人で診察、当直、後輩の指導をせねばなりません。
> 身体障害者であっても医師になる権利があり、
> 国試にも合格しているから、研修医として頑張ってもらいたという気持ちと、
> 患者様に他の研修医が担当するよりストレスをかけているのではないか?
> という気持ちが私たち指導医の中でも葛藤していることがある
> ということを理解していただけたらと思います。
 これは、とても大切なことを仰ってくださっている、と思います。
 「医師」であるということ。
 ここで問われているのは、「(聴覚)障害があろうがなかろうが、医師として働かなければならない」ということでなないでしょうか。

 これまでは聴覚障害を持つ側にむけて、不安なことであるとか、こうすればうまくいくのでは、のようなフォローを目的とした内容を書いてきました。
 今度は、もっと根源的なこと、つまり「聴覚障害を持ちながら、医師として働く」ということに焦点を当てていきます。
 といっても、わたしもまだ学生ですから、試行錯誤しながら、みなさんと一緒に考えたいと思っています。

もくじ|次項:大事なこと-2
文責:Kumiko

なぜ医者になりたいか part.2

 part.1 では、わたしの経験をお話しました。
 こんどは、みなさんの番です。
 「なぜ医者になりたいか」

 どういう気持ちで医者になりたいと思っているか、それはあなたにしかわかりません。すごくハッキリしたものを持っている人から、漠然と「なんだか、医者っていいな」と思っている人までいろいろだと思います。わたしは前者に見せかけて、後者でした。
 でも、それでいいんじゃないでしょうか。
 いま自分が持っているものを大事にしてください。
 けれども、ほんのすこしだけその(どうしてかはわからないけれど)「医者になりたい」気持ちを、実現していくためのお手伝いをこれからお話しようと思います。

(1) 「なぜ医者になりたいか」を自分に問う
 最初に、なぜ医者になりたいか、医者になって何がしたいかを問いかけました。
 自分の中に、「医者として働く自分」を思い描けますか。
 「医者」というワクにだまされないでください。
 「医者になりたい」というとき、「医者」という外側のワクだけを見ていると、「自分が医者になってなにをしたいのか」ということが見えてこなくなってしまいます。
 (わたしも、最近までだまされていたクチです……)。
 「医者」「医学部」というワクの中で、自分がどう生きて、何を学んで、どう働いていくか、という世界を考えてみることがはじまりです。

(2) ほかの人とどう関わっていくかを考える
 「医者」というワクの中で自分が働くとき、そこにはほかの人が必ずいます。自分ひとりだけでは働けません。
 患者さんだけではなく、同僚、上司、ほかの医療職の人、その人たちがどう自分に関わってくるかをイメージしてみてください。「医者になりたい」という自分の思いに、他人がどう関わってくるか、です。
 それを考えたとき、自分の働きかたも見つけやすいと思います。
 たとえば一般に「お医者さん」というと、外来で患者さんを診て処置をして、というイメージがあります。そういうお医者さんばかりではないんですよ。病理学のお医者さん、放射線科のお医者さん、基礎医学や社会医学を研究するお医者さん、政府で働くお医者さん(医系技官)、会社や学校に関わるお医者さん(産業医)という働きかたもあるのです。
 くりかえしますが、自分のやりたいことに、他の人や社会がどう関わってくるかということを考えてみる必要があります。

(3) 具体的な構想をもつ
 「なぜ医者になりたいか」を考えに考え抜いて、ぜひこういうことを学びたい、社会人という身分を放り投げてでも勉強したい、と思って医学部にやってくる人たちがいます。勉強熱心で、モチベーションが非常に高い。
 いつも彼らのことを「すごいな、どうしてそんなに勉強し、行動できるんだろう」という、畏敬のまなざしで見ていました。
 理由を考えてみると、モチベーションが高いのももちろんですが、そのモチベーションを維持するための努力を彼らはしているように見えます。自分の「なりたい医者像」についての具体的な構想をもち、その医者像に近づくための手段を体系だてて分析し、行動しているのです。

 (1)から(3)を考えてみることが、はじまりです。
 そこから具体的にどういうことをしたくて、何を学びたいかを考えてみてください。
 また、やりたいことを「医者」というワクで考えていると、行きづまってしまいます。ボンヤリとでもいいから、「自分って、なにが好きで、なにをしたいんだろう」というところからスタートしてみてください。ときには、「医者」という職業自体を選ばないで、別の職業のほうがふさわしいということもあるはずです。

 たとえあなたが聴覚障害を持っていても、肝心なのは、あなた自身の「なりたい」という気持ちです。ただし、気持ちばかりが先走っていては、「どうして医学部にきてしまったんだろう、医者になれるんだろうか」ということになりかねません。恥ずかしながら、一時期のわたしもそうでした。
 現実を見る目も必要です。「働いていけるか」というところを考えないと、この先、厳しいと思われます。
 そこを考えてみて、「なんだか漠然としたままなんだけど、やっぱり医者になってみたい、働きたい」ということであれば、飛び込んできてください。
 そして、あなたの道を自分自身で歩いていく、切り拓いていくとき、なにか困ったことがあれば遠慮なくこちらに聞いてください。
 ただし、最終的に決めるのは自分です。
 わたしたちは、その「お手伝い」をさせてもらいます。

 (卒業しても、この会のことはなんらかの形で支援していこうと思いますし、ほかの会員が志を引き継いでくれることと思います)。

前項:なぜ医者になりたいか part.1
文責:Kumiko

なぜ医者になりたいか part.1

 医者になるということを、みなさんはどう考えておられるでしょうか。
 どんな理由で医学部に入ることや、医者になることを選んだのでしょうか。
 「なぜ医者になりたいか」
 ということが、今日のテーマです。

 わたしの場合はといえば、はじまりは中学3年生の初夏でした。いきなり「難聴の研究をしたい!」というわけのわからないミョ~な使命感にボッと火がついたのが、そもそものきっかけだったようです。そして、どうもそういうことがやれるのは医学部であり、臨床ではなく研究をするという働き方によってだ、という漠然としたイメージで研究系の医者をめざすことにしました。
 思いこんだら「これだ!」と一直線なわたしです。漠然とした「こういうことができるだろう」という気持ちだけで、おりしも欠格条項改正の見込みが発表されたということもあり、ウッカリ医学部に来てしまいました。
 さて、医学部に入学しましたら、聴覚障害があっても臨床で働いている先生がいらっしゃるじゃありませんか!
 琵琶湖病院の藤田保先生(精神科医・難聴者外来担当)との出会いによって、いともあっさり「わたしも臨床で働けるかも、いや働きたい!」という方向に転んだわけです。
 ここからが迷路のスタートです。
 「臨床で働くお医者さん」という仕事を、ひどくあいまいなイメージでしかとらえてこなかったために、自分がなにをしたくて医学部に来たのか、どんな医者になりたいのか、そもそも何をしたいのか、医者になれるのか、という、考えてみれば根本的なことにぶつかってしまったのです。
 そのうえ専門教育課程の講義がはじまると、いままでのやり方が通じない。
 高校まで「自分の力でなんとかしてきた」と自負していたわたしにとって、このことは大きな衝撃でした(それまでだって、自分ひとりの力ではなかったはずなのですけれど)。講義に出て教科書を見るだけではわからない。いつしか講義から足が遠のいていき、立派な不登校児の出来上がり。結果的に、2年生を2回やることになりました。
 敗因は、思考と分析の欠如にあったのではないか、といまは推測しています。
 「自分は何をやりたいのか」
 「どうして自分は医者になりたいのか」
 この根本的な問いに対して、思考を停止させてしまいました。医者になりたいという気持ちだけが先走り、「医者とはどういう仕事で、どういう働きかたがあって、自分が患者さんに何を提供していけるのか、何を求められているのか、そもそも自分は医者になって何をしたいのか」という思考が抜け落ちてもいたのです。
 そのために、根拠のない漠然とした不安にさいなまれるということが長く続き、白状するといまもちょっと尾をひいています。
  なおかつ不安にさいなまれるだけで、考えるということをしてこなかったために、ずっと「問題解決の手段」を「自分ががんばることしかない」と思い込んできたのもまちがいのもとでした。
 (いまから思えばずいぶんと多くの人が、わたしを助けようとしてくださっていたのですが、その心に気づかず振り払ってしまったことが幾度となくありました。それにも関わらず、見捨てないで付き合ってくれた友人や先生がたには感謝の一念です)。

 さて、ずっと考えないできたこの問題。
 「なぜ医者になりたいのか」
 最終学年となったいま、そのことを改めて自分の心に聞いてみました。
 いまのわたしから出てきた答えは、やっぱりまだ漠然としていて「患者さんが病気や障害に付き合っていく手伝いをしたいから」ということでした。
 根治治療ができればもちろん、一時期の付き合いから別れまでをサポートすることになります。治療ができないのであれば、その病気・障害と付き合っていくことをサポートしたい、そう考えるようになりました。
 けれども、「病気や障害に付き合うお手伝い」だけであれば、なにも医者でなくてもいいはずです。
 いまはそういうお仕事がたくさんあり、医療系の職業だけをみても、看護師、臨床心理士、作業療法士、理学療法士、言語聴覚士など、本当にさまざまです。カウンセラーや占い師、マッサージやアロマテラピーなどに癒され、救われる人もたくさんいます。
 また、いまは医者と患者と医療をとりまく状況はすごく厳しくて、「医者になる」という現実は甘いものではありません。多くの研修医や医者が、体にむち打ちながら働く現実。
 でも、病院に来てはじめて接する「お医者さん」として、患者さんの人生の一部に責任を持って関わりたい、そう考えています。そして、そういう関わりかたができるのが「医者」という仕事だと思います。本当はもっと大きな、個人をとりまく社会というものにも、医業を行うことでアプローチしていきたいけれど、これはまだ漠然としすぎています。
 それに、もっと心のシンプルなところから出てきたのは、「患者さんが良くなって、「よかった」と言ってくれるとうれしい」ということでした。
 正直な話、やっぱり「この仕事、向いていないんじゃないか」と思うこともあります。けれども、こういう患者さんとのやりとりを思い出すだけで「いや、もうやっぱり医者だ」と思える、単純にして猪突猛進なわたしであります。

 患者さんを含む人との出会いから多くのエネルギーをもらっていること、また人に対して自分も何かできることがあるのだと知ったことが、いまのわたしの力になっています。膨大な「覚えるべきこと」の量に死にそうになりながらも、なんとか勉強できているのはそのおかげかも。
 (今年、うちの大学は卒業生が全員合格したんだって。開学以来の快挙とか言っちゃって、すっごいプレッシャだよ、落ちてらんないよ、って感じだ……)。
 つぶやきにしては長かったか、反省。
 part.2 に続きます。次は、あなた自身のことを考えてみてください。

次項:なぜ医者になりたいか part.2
文責:Kumiko
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